- じゃまいか人という発想
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2010.03.31 Wednesday先日、友人が我が町には「じゃまいか人が多くて・・・」という話を始めた。「は?友人の住んでいる町を歩くこともあるが、そんなにジャマイカの人を見た記憶がないぞ」
と、友人は「気候もよくて、住みやすいところでしょう。だから、あまり物事にこだわらない人が多いの。で、何かあっても、『じゃ、まあ、いいか』で済ませてしまうから、『じゃまいか人』」と説明をしてくれた。
なるほど、それいいかも。
今日は、相棒と二人で隣町の図書館へ出かけたところ、「館内整理日につき休館」だそう。せっかく来たのにとは思ったが、文句を言ったところで開館してくれるわけではない。さっそく、「じゃまいか人」になった。
代わりに近くの小さな山をちょこっとだけ、お散歩。
山の麓には桜があって、もう咲いていた。
「エドヒガン」と看板が掛かっていた濃いピンクの桜。
帰宅してから調べてみたが、名前がわからない白い桜。
その白い桜とソメイヨシノ。
- よい関係作りの成果かな・・・
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2010.03.30 Tuesday3月も末というのに、寒い日が続く。
今日はお天気もよく、時間もあったので、近所の工場へ薪を頂きに行った。
よくはわからないが、多分、産業廃棄物なのではないかしら。だから、我が家が頂いてくると、向こうも処理費がかからず、うれしいはず。
とはいえ、こちらも助かるので、丁寧にお礼を言って頂いてくる。
そんなこんなのおつきあいがどれ位、続いているだろうか。
薪をフォークークリフトで運んでくるおじさんとも、かなり顔なじみになってきた。
以前は、その薪を手作業で軽トラックに積み込んでいた。
が、この頃は、おじさんがフォークリフトを操って、薪が積まれている台ごと軽トラックに乗せてくれる。
「次に来る時に、この台を返してくれればいいから」と、言ってくれるから、うれしい。
がんがんと積み込んでくれ、ロープ掛けもしてくれたので、1回でかなり大量の薪を運ぶことができた。
丁寧に挨拶をし続けた成果かな・・・
- 他人は変えられない
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2010.03.29 Monday
「言わなければ、わからない」とか「言わなければ、やらない」「強く言えばやる」などと言う人は多い。
が、言うことで相手の行動を変えることができるかどうかについて考えることは、パスしたい。
むしろ、「言うことで相手の行動を変えることはできない」との前提で、話を進めてみたい。
対人関係で感じるストレスの多くは、あの人が私にすることをやめてほしい(「あんなきつい言い方をしなくてもいいのに」のようなこと)か、あの人がこの程度のことをしてもいいのに(「私が大変なのをわかっていたら、ちょっと手伝ってくれてもいいのに」のようなこと)ではないだろうか。
これらは、どれも他人の変化を期待していることだ。
心のどこかで、他人が自分の期待通りになるとの思いがあるからだと思う。
お天気は「あいにくの雨で」などの表現をするが、お天気が思い通りにならないと言うことは多くの人が承知していることだから、思い通りにならなくても、いつまでも文句を言い続ける人は少ない。
残念ながら、他人もお天気と同じで、自分の期待通りにはならない。
そういう前提で見たら、見える世界が違ってくるはず・・・
自分が他人に期待されたら、「勝手に期待して、文句を言うな」になることが多いのではないかしら?
- 本格的な春近し
- 人はどのようにして行動を決めているのか?
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2010.03.27 Saturday
人はどのようにして行動を決めているのか?
この点がわかるとわからないとでは、人間関係の築き方が決定的に違ってくる。人はどのようにして行動を決めているかについては、二通りの考え方がある。
一つは、外から何らかの刺激を与えることで行動を起こすことができるという外的動機付けという考え方。これは、ほうびや罰をちらつかせたり、「○○しなさい」と言って、行動させることができるという考え方と言い換えてもいい。これは他の人に自分の思うとおりの行動を起こさせたい側にとっては、非常に都合のいい考え方でもある。
が、「何度言っても言うことを聞かない」と嘆く人があっちにもこっちにもいることを見聞きするだけで、この考え方が正しくないことがわかると思う。このやり方でうまくいかないと、より工夫した罰やほうびを与えるという方向に行きやすい。が、本人がその気にならない限り、行動を変えないのは同じである。
では、正しい考え方とは何かというと、人は自分の行動を自分の気持ちに従って決めているというもの。自分の中で行動を決めているので、内的動機付けとも言う。
「相手の言うことが正しいとわかっていても、私のやり方でやりたい」というようなことをよく聞くのは、そういう仕組みから来ているからだ。
これは別の表現をすると、自分以外の人に「ああしたら、こうしたら」と行動を変えるように要求しても、その人がそうしようと思わない限り、その人の行動に変化を起こすことができないということになる。
とてもシンプルで簡単な真実なのだが、これをとことん自分の中に落とし込むには、それなりの練習が必要みたい。
わかってしまえば、対人関係のストレスを限りなくゼロに近いところまで減らすこともできる。
大変でも練習して、自分の人生を気分よく生きられるようにするのか、自分以外の人の行動に不満を感じつつ生きるのか、どちらの人生を選ぶかはその人次第だ。
- 問題解決のための考え方
- 言うことを聞かない子ども
- 介護する人の心を軽くする
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2010.03.23 Tuesday本日、頂いたお題は「介護する人の心を軽くする」というもの。
今までヘルパーさんたち向けの研修はしてきたが、ご家族を介護する方への話は今日が初めて。
支える側の人が支えられる人より先にダウンしてしまったら、話にならないので、支え手長持ち作戦からスタート。そのためには、長期戦を覚悟する、完璧を期さずに、諦める部分を選んで、ある程度割り切る、自分で自分をいい気分にする時間を確保するなどなど、自分の生活を意識的に選んでいく姿勢が大切だとお話しする。
それから、問題解決のための考え方について、お話しする。誰がどうすべきという考え方は、そう考えたり、話をする方は多いが、この考え方は現実的ではない。「すべき」と言われたからと、その人がする保証がどこにもない。むしろ、説得路線は相手との関係を悪くしてしまうことの方が多い。
よくある話で、ご飯を食べたばかりなのに、「ご飯はまだ?」と催促する人への対応法は「今すぐ用意しますから、お茶でも飲んでいて下さいね」のように、ご飯を食べたことを指摘し、思い出させるよりは、「食べていない、食べたい」との気持に添うようにすると、いい。
表面に現れることに振り回されず、根っこにある「大切にされたい」という気持を理解し、それに答えるようにすると、上手な対応ができることが多いと思う。
介護に限らず、あらゆる対人関係で使えることなので、早くに身につけると、とても楽になると思う。
今日、お話をしてみて、介護が始まる前から、学び始められたら、ずいぶん違うのではないかなと感じた。
「もっと早くに聞いていたかった」との声もあったし・・・
- 出会いは宝
- ヨモギ団子作り
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2010.03.21 Sunday今日はヨモギ団子作りの日。
まずは肝心のヨモギ摘みへ出発。先日、リサーチしておいた川の土手まで、歩いていく。先頭に立って、斜面を降り始めると、足元からキジが飛び立った。キジさんもびっくりしたらしく、かなりの距離を一気に飛んでいった。
私には頭の赤もはっきり見えて、雄のキジだとよくわかったのだけれど、ゆっくり見ることができなかった子どもたちは残念そう・・・
「これがヨモギです。こんな風に芽とそのまわりだけを摘んでね」と説明をする。
摘んだヨモギを持ち帰り、ゴミや大きい葉や茎を取り除く。
ぐらぐら沸かしたお湯でさっと茹でると、きれいな緑色になり、「わぁ、きれい」と歓声が上がる。
すり鉢でよくするのだが、その前に包丁で細かく切るとする作業が少し楽になる。おもっていたいじょうにせんいがつよく、ほうちょうできるのが、なかなか大変。
交代しながら、一生懸命すりつぶしたヨモギをお団子の元の粉に入れる。粉と水とヨモギを手でよーくこねこね。色の具合を見ながら、粉の量を調整し、残った粉は白いままのお団子にすることにした。
次はお団子にまとめる。子どもたちは星を作ったり、ハートを作ったり・・・いろいろな発想が楽しいね。
できたお団子をぐらぐらのお湯に入れて、ゆであげる。
それぞれ好きなお団子を器にとって、あんこと一緒に「いただきまーす」