- 健康と好奇心さえあれば
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2011.06.30 Thursday2週間のアメリカ滞在を終え、日本に戻ってきてから、海外でのロングステイや移住への関心が高まるばかり。
実際にどういう形で実現することができるかは?だが、とりあえず、かんたんにできる情報収集として、ロングステイや移住についての本を読み始めた。
いいことばかりではなく、思いがけないハプニングもあるだろうし、経済的なことや言葉の壁もあるだろう。
が、みなさん、なかなか大胆にロングステイを決行している。
下見もしないで、いきなりロングステイという方もいれば、定年退職するまで日本で暮らすより若いうちに移住の夢を実現した方も。また、75歳を過ぎての移住をした方や70代で毎年ロングステイをしている方もいるなど、みなさん、すごいなぁと思う。
それぞれの方にとってのこだわりの部分には、こだわるのだろう。が、それ以外のことはあまりこだわりを持たず、日本とは違う現地での生活を楽しむ姿勢がいいのだろうね。
健康と好奇心さえあれば、新しい土地での新しい生活が楽しめるのではないかしら。
夢の実現をめざして、がんばろうっと。
- 発音練習
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2011.06.29 Wednesdayアメリカから戻ってくると、もう少し英語をがんばろうと思う。
毎日、少しずつでもいいからとCNNで英語を聞く練習を始めた。
その他にも何かないかな。ネット検索をしてみると、なかなかおもしろそうなサイトを発見。イングリッシュセントラルというもの。いろいろなビデオを視聴でき、発音練習もさせてくれる。ビデオを見た後、そのビデオのせりふを録音する。と、毎回点数をつけてくれ、コメントまでつけてくれる。
私は勘が鈍く、どうすれば、お手本のように発音できるかがよくわからない。で、私より遙かに勘がいい相棒に助けを求めることにした。お手本の発音とわたしの発音を聞き比べて、相棒がコメントをしてくれると、少しはうまくなる気がする。
興味のある方はのぞいてみてください。
http://www.englishcentral.com/
- 学校は絶対ではない
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2011.06.28 Tuesdayあちこちで学校へ行き渋る子の話を聞く。
学校は多くの人が思っているほど、いいところでもなければ、絶対的な存在でもない。
「学校へ行かないと我が子の将来がない」と思いこんでいられる人も多いが、その一方でホームスクーリングという形で我が子の教育をしている人もいる。不登校になったから仕方なく家庭教育へ転向したのではなく、はじめから学校での教育を選択しない人もいるのだ。
あるいは「中学校も高校も自分には合わないが、好きなことは学びたいと、大検を受けて、大学にだけは行く」という子もいる。
こんな風に学校へ行かなくても、学ぶことはできるのだ。
「いやでもやりなさい」や「学校へ行かないと将来はない」は一面的な見方にすぎないと私は思う。
学校へ行き渋る子を無理に学校へ行かせることで親も子も辛い思いをしてほしくない。
もし今、私が子どもだったら、かなりの率で学校へ行っていないだろうなと思う。
3月11日に大きな地震と津波、そして原発の事故があったことを思い出してほしい。生きていること、家族が共にいられることがどれだけありがたいことかを知ったのではないだろうか。
学校へ行くことよりも生きる喜びを感じることの方が大切だと私は思う。
- 成田は遠い?近い?
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2011.06.26 Sunday久しぶりにアメリカの娘宅へ遊びに行ってきた。
今まで「成田空港は遠いから行くのに時間がかかる」と少しマイナスのイメージで考えていた。
空港でのセキュリティチェックや何やのため、実際に飛行機が飛ぶ3時間前までに空港に着いていなくてはならないから、夕方に出発する飛行機に乗るために朝から家を出なくてはならない。でも、今回、気づいたのだが、成田空港と同じ関東地方に住んでいるから、「成田まで遠くて困る」という発想になるのかもしれない。
もし、私たちが北海道や九州に住んでいたら、そこの空港から成田空港まで飛行機で移動しなくてはならないのかも。あまり考えたことがなかったから、成田空港に国内線がどのくらい発着しているかもしらないな・・・
成田空港以外にも国際空港があるが、それらの空港からは娘たちの街の近くまで飛行機が飛んでいないかもしれない。
こんな風に見方を変えてみると、「成田空港が遠い」などと文句を言えないことに気づく。
いろいろなことについても、同じようなことが言えるのだろうな。
「もっと不便なことがあるかもしれない。もっと悪いことがあるのかもしれない」という発想を持つ努力をする必要があることに、今頃、気づいた私だった。
- 気づいたら、それは進歩の証拠
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2011.06.24 Friday学習会に参加している方の発言に同じものがよく登場することに気づいた。
「言ってはいけないことを我が子に言っている自分に気がつき、愕然として落ち込んでしまいます」というのがそれ。
ここでも見方を変えれば、自分の気分をよくして、さらなるステップアップにつなげることができる。
「言ってはいけないことを言っている自分に気づけたのは進歩の証拠です。学ぶ前はそんなことにも気づかないで、言っていたのだから」に「そうですか。それでいいのですね」との安堵の声が出る。
いいのですよ。言ってはいけないことを言っている自分に気づく。よりよい言葉を考えよう。よりよい言葉を思いつく。がんばって、言ってみる。言い慣れる。いつでもスムーズに言えるようになる。
いい言葉がけができるまでにはこんなステップが必要だと思う。
言ってはいけないことを言っている自分に気づくことは、進歩のためのとっても大切な第1歩です。
「そうか、私は進歩しているのですね」とのうれしいコメントに私もうれしくなった。
- 旅の余韻
- いい気分になることしかしない
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2011.06.21 Tuesday我が子がやる気を出さないことを気にするお母さんは多いようだ。
でも、自分はどうだったのだろう?
「いやだけれど、やらなくてはならないからやりました」との声が返ってくる。
「でも、本当に身に付いていることって、好きなこと、興味があることではないのかしら」に「そうです」とも。
「好きなことは一生懸命やるけれど、興味のないことは渋々やる」というのが厳しい現実だ。
「いやでもやりなさい」よりは興味が持てるような仕掛けを作ることの方が大切だと思う。
「1cmは10mmです。では、2cmは何mmですか」と問われても、ぴんとこない。身の回りの物を一緒に測って何cmとか、何mmと実感することでcmとmmの意味を理解できていくのではないかしら。
お菓子を作るにしても、「お友だちにプレゼントする分と自分の家で食べる分を作るためには、レシピの倍の材料がいるから、小麦粉は100gの2倍で・・・」という作業をすることが実生活の中で算数を使う訓練になる。
いやでもやりなさい」と言い聞かせるよりも、そんな工夫の方が役に立つと思う。
私自身がカウンセリング心理学を学ぶ以前から好きなことには取り組むけれど、嫌いなことはしないを実感していたエピソードを公開したら、びっくりされた。
小学校高学年の時にとってもいい国語の先生に出会った。本好きだった私は、それまでにもまして本も国語も好きになった。が、おかげで、それ以降に出会う国語の先生はその先生に比べると、つまらない授業しかしないので、授業を聞く気になれない。
中学校までは、なんとか聞く振りをしていたが、高校に入ってからは、聞く振りさえやめた。
教室にすわってはいるが、一番前の席でひたすら小説を読みふける悪いヤツでした。生徒の自主性を最大限に尊重する高校だったこともあり、叱られることなど一度もなかった。
そして、さらにとんでもないことに、授業をいっさい聞かずに通した私が国語のテストでは学年のトップを3年間、とり続けてしまったのだ。
そんな私だからこそ、「人はいい気分になることしかしない」が人の行動の原理だとみなさんにお伝えできるのだと思う。
「人は好きなことしかしない」を体感しているから、「いやでもやりなさい」
- その人なりによかれと思って行動している
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2011.06.20 Monday人はそれぞれに違う価値観を持っている。だから、判断基準や行動の仕方も違うのが当たり前。
私からみると理解不能だったり、非常識と感じられることでも、その人なりによかれと思って行動しているのだ。
これがわかってくると、他の人の行動に「?」と思っても、「まあ、いいか」と思えるようになる。
いろいろな人に会うと、そのたびに、驚いたり、感心したりすることも多い。
その1
先日、アメリカから大荷物を抱えて戻ってきた時のこと。
日頃は6階位までは階段を歩くさすがの私も駅のホームへ行くのにエレベーターを利用した。そのエレベーターに乗り込むと、後から荷物もほとんど持っていない人が乗り込んできた。
「エレベーターなど使わずに歩けばいいのに」と、思ってしまう私。
が、エレベーターが止まったら、その方は私たちが大荷物をすべてエレベーターから出し終わるまで、「開く」ボタンを押し続けて下さったのだった。
その2 電車の中で見かけたこと。
すいていたので、座ることができ、本を読んでいた。と、乗り込んできたお姉さんが私の隣に座っているお兄さんをトントンとして、「座りたいからどいて下さい」と声をかけた。お兄さんはあっさりとたって、席を譲った。
私にはどちらも同じ20代に見えたので、ちょっとびっくり。
お姉さんも健康そうに見えたけれど、「お姉さんなりの事情があるのだろうな」と考えてみた。
- カナダでの和食