- 愛は行動で示される
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2011.11.30 Wednesday本日の学習会のお題は「親子の絆の深め方」だった。
「親子であれば、それだけでお互いに好きになるわけではない」に初めての参加者はびっくり。
「ほんとですか?」に、きっぱりと「本当です。そうでなければ、あれだけたくさんの親が子どもに殺されることはないでしょう?」に、みなさんは「うーん」とうなっていた。
まずは、自分が「愛されている、気遣われている、認められている」と感じるのはどんな時かを話し合って頂く。
話を聞いてもらえる、ねぎらってもらえる、心配してもらえる、ほめてもらえるなどなどが挙がった。
「愛しているからこそ、○○しなさいと言うのよ」と言われたら、愛を感じることができるだろうか?
自分が言われる立場だったら、答えはもちろん「NO」だ。
だとしたら、我が子にそういうことを言うのもNGだと、理屈ではよくわかるはず・・・
「愛している」という気持ちは行為という形で表されている。自分がしてもらった時には、とてもよくわかるのだけれど、自分が愛する相手にどうしているかは、あまり意識していないかもしれない。
我が子にどのような態度をとっているかを思い出してもらうと、「うーん、ほめる努力はしているけれど、ほめている回数と文句を言っている回数が同じ位かも・・・」「まずい対応をした後、必死にフォローしていることが・・・」
ということは、プラスの対応を重ねている人は少ないってことのよう・・・
でも、そこでめげなくても大丈夫。改善しようと思ったら、その時からやり直すことができる。
最後にみなさんにお伝えしたのは、子育てだけに目を向けず、自分の生き甲斐を持つことの大切さ。
生き甲斐と言うほどのものでなくてもいいから、我が子とは無関係な楽しみを持つと、気持ちにも余裕が出てくると思う。
- 看護師から食品バイヤーへ
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2011.11.29 Tuesday「おいしいもの、届けます!」のタイトルに惹かれて、図書館から借りてきた。
今でこそ、「お取り寄せ」が大流行だが、著者がこの仕事を始めた頃は「通信販売イコールうさんくさいだったそう。そんな時代に、大手のセキュリティ会社であるセコムが自社のコンセプトである「人々の生活全般の安心と安全を提供する」に従って、おいしくて安全な食べ物のカタログ販売を開始する。
同じセコムの医療部門で看護師をしていた著者は食べ物に関してのコラムを書いていたが、それを目にした上司にこの部門へと引っ張られる。
「どうして、どうして私が?何をどうすればいいの?最初は誰かが教えてくれるのでしょ?」といくつもの疑問符とともにわけもわからず仕事を始める著者。が、上司は至ってあっさりと、「おいしいもの、添加物が入っていないもの、自然な味のもの、そしてどこででも簡単には手に入らないものをさがしてくれればいい。あとはまかせるから」と丸投げ。
デパ地下はもちろん、ありとあらゆるところでおいしそうなものを試食しては、取り扱うことができそうな品をさがす。目星をつけたら、生産の現場を確認に出かける。
「が、まかせるよ、がんばって」という調子だから、生産者への初めての取材ももちろん一人で行う。
どんなことだって、初めてすることは簡単にいい調子ではできない。初めての土地で、生産者からもらった手書きの地図を頼りに、レンタカーを走らせるのも、容易ではないことがしばしばだ。走り慣れている地元の人にとっては、「5分」でも初めての人は「10分」だったりもする。
凍てつく海で漁船に揺られたりなどなど、たくさんの苦労の果てにすばらしいカタログが作られていることがよくわかる。
著者のおいしいものに出会いたい、それをたくさんの人に届けたいという思いと、すばらしい生産者に出会った感動とそれを多くの人に伝えたいという思いがぎゅっと詰まっていて、一気に読んでしまった。
- 失敗対策なら、まかせて
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2011.11.27 Sunday「バザーの売り子さんたちのお昼ご飯は昨年までのように出来合いのおにぎりを買うのをやめて自前で用意しましょ」と発案してみた。
今年は昨年よりも手の掛からない物ばかりを売ることにしたので、お昼ご飯を準備することができそうだから・・・
「一人で大丈夫」と引き受けてくださった方がすっ飛んできた。「大変、どうしてだか、がんだご飯になっちゃった。どうしましょ?水を足して、もう1回炊き直したらいいかしら?」
見に行くと、なるほど、餅米部分が真っ白だ。少し位のがんだだったら、さっと水をふって、電子レンジにかける手もあるのだが・・・ちょっと手強そうだ。一応、試しに電子レンジにかけてみる。
うーん、やっぱりきびしい。
次の手としては蒸してみるか。
公民館の調理室をさがしてみる。やったね。蒸し器を2つ、発見。急いでいるから、給湯器から熱い湯を注ぎ、炊飯器のご飯を蒸し器に入れて、がんがんと蒸す。
12時前にはみなさんのところへ持っていきたいとは思うけれど、焦らず、しっかり蒸して、よほどうるさい人でないとわからない程度にはなったつもり。
たくさんのたくさんの失敗を重ねてきた経験が、こういう時にものをいうのだよ。
- 完売
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2011.11.26 Saturday今日は朝からコーヒー屋さん。
朝のうちは、子ども連れが多いこともあり、人出の割にはあまり売れない感じだった。それでもぽつぽつ売れていき、時々は出店者仲間から大量注文などもあり、そこそこはけた。
少し大きめのコーヒーメーカーを二つ持ち込んで、コーヒーを淹れる。が、コーヒーを淹れるスピードと売れるスピードの加減を調整するのに、さじ加減が必要だ。
「もう少し、お待ちください」と言わなければならないことも、少しあったかな。
これで最後にしようと、淹れたコーヒーが思っていたほどはけない。仲間が飲みたいだけ飲んでも、15杯文ほど、余ってしまった。
この際、知り合いのところへ売りつけに行ってみよう。「最後なので、おまけするから買って」が効いて、まずは4杯の売り上げ。そして、すぐに「ごめん、まだ追加できる?」と、さらに2杯。
やったね。残して捨てることを思えば、いくらかでも頂けるのは、とってもありがたい。
さらに、もう一組のグループに声をかけてみる。「お、うれしい、ほしいです」とのうれしい返事。
やった!完売です。
寒さの中、がんばった甲斐がありました。
- どんな時にも青空が
- いつか来る別れに備える
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2011.11.23 Wednesday日記がアップできない日が続いたが、今日は久々に日記更新ができる。
午後、喪失についての話を聞いてきた。
人は生きていく間にたくさんの喪失を経験する。「喪失」とは大切にしていたものを失うこと。愛する人との別れ、身体機能の衰え、財産を失うことなどなど、私たちの人生にはたくさんの喪失がある。
「喪失を経験する」ことは、どの人にも共通するが、一つ一つの喪失は、それぞれによって違うし、その悲しみをどう乗り越えるかも、人によって違う。
だから、喪失の悲しみに沈む人に対する時、自分の経験をもとにして、話をしてはいけないなど、いろいろ貴重な話が出た。
3月11日の大震災で、今更のように思い知らされたのは、日本という国に住むということは、いつ、どこででも地震が起きるというつもりでいないといけないということ。
それと同じように、人はたくさんの貴重な人や物をいつ、どういう形で喪失するかわからないことを、いつもいつも意識している必要があるのだと思う。
「いつ別れがやってきてもよいように生きる」と書いたり、言ったりするのは簡単だけれど・・・
誠実に誠実に生きることを忘れずに日々を過ごしたい。
- 不要品を必要とする人の手元へ
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2011.11.13 Sundayこのごろの流行らしく、あちこちの図書館でリサイクルコーナーが設けられている。
図書館としては不要となった本だけを置いているところと、それプラス一般の人が不要となった本も置いているところとがある。
不要になった本を売るとしても、安値でしか売れないことを思うと、一般の人が不要本を提供できるシステムがもっともっと普及するといいな。
本だけでなく、いろいろな品物を交換できるようになるといいのだけれど・・・
目下のところ、不要になった品物の処分方法は次のようなことだと思う。バザーに寄付する。ほしそうな人を自分でさがして使ってもらう。リサイクルショップへ売りに行く。自分でフリーマーケットをする。ごみに捨てる。
もうひとつの選択肢として、リサイクルコーナーを作って、そこに置くのはどうかしら。
リサイクル本のコーナーのように、不要になった品をおいておくと、ほしい人が持っていく、そんなコーナーがあってもいいのではないかなぁ・・・
- 幻想と厳しい現実
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2011.11.12 Saturday遠くへ引っ越した若い友人が久しぶりに訪ねてきてくれた時のこと。
集中力について、読んだばかりの本(将棋で有名な羽生が書いたもの)に「好きなことなら、集中する」とあった話をしたら、その友人の子が行っている主義主張がある学校もそういう考え方の教育をしているのだとか。
「そうだよね」と二人で盛り上がったのだった。
が、なぜか、多くの人は「いやでもやりなさい」が大好き。
「好きなことだったら集中する」は裏返せば、「好きになれないことには集中しない」でもある。これが厳しい現実だ。が、それよりは「いやでもやるべき」という幻想にしがみつきたい思いの方が強いみたい。
幻想にしがみつきたい人を幻想から引き離すことはできない。だから、引き離そうとは思わないが、「そうして、しがみついている間は幸せにはなれないのにな・・・」とは思う。
- 楽しい会話のコツ
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2011.11.11 Friday昨日の学習会の後、「楽しい会話のコツ」について、もう少し考えてみた。
ポイントはどこまで行っても、相手を中心にすること。相手が話したいことを話してもらうに尽きる。もちろん、こちらが適度な合いの手を入れたり、質問を挟んだりというテクニックも必要になるが・・・
話題を選ぶ時にも、その話題について話をしたそうかどうかのチェックをするといい。こちらが投げかけたことに対し、相手がたくさん話してくれることは相手が話したいことだが、ぽつっと一言しか返ってこないなら、相手にとっては話したくない話題だと判断するといい。
家族についての話は誰もが喜んでするとは限らない。その人の子どもが不登校だったり、その他の問題を抱えていたりすれば、子どもについての話をするのはうれしくないだろう。
また、相手が話し始めると、それを自分の方に取ってしまうのもNGだ。一般論として語られたら、「そんなこと当たり前でしょ」と思う人がほとんどだろうが、実際にそうしてしまう人はとても多い。
徹底して相手を中心にした会話を続けるためには、日頃から自分で自分をいい気分にしておくことと、そうして相手を中心にした会話をすることで自分が得られるメリットを認識している必要がある。
いい人づきあいをして、いい人生を送りたいなら、ぜひトライする価値はあると思う。
- 和顔愛語ーいい人づきあいのための第一歩ー
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2011.11.10 Thursday今日のお題は簡単そうに見えて、奥が深い「いい人づきあい」だった。
「人とつきあう」となると、どういう言葉をかけるか、かけられた言葉にどう返すかなどを思い浮かべる人も多いと思う。
が、実は、もっと手前のことから始めることができる。
まずは相手の存在を認めること。名前を呼んで挨拶をする。そんな簡単なことから、いい人づきあいの第1歩を始めればいい。
その時にできるだけの笑顔で接し、さらには相手に対する気配りの一言を加えること。
自分がそんな風に接してもらえたら、どんな気分がするかを考えれば、こんなちょっとしたことの効果の大きさがわかるのではないだろうか。
そして、相手が話したいことを丁寧に聞く。自分に興味がないことでも聞いておけば、他の人との会話をする時に役立つ時がくる。そう思っていれば、聞くことが苦にならないと思う。私はそうして、たくさんの方の話を聞き、また別の方との話をふくらませてきて、今日に至っている。
「相手が自分と話をすることで、いい気分になる」ことが、いい人づきあいを築くコツだ。「相手だけがいい気分になって、私はひたすら我慢して相手にサービスするのはイヤ」と思うかもしれない。
が、相手がいい気分になり、いい関係を築けることで私が得るものも大きいから、がんばる価値があるのです。
人づきあいがとっても下手だった私が、いろいろ学んだ結果、できるようになったことも含めて、お話しした学習会だった。