- 新たなるスタートに際し
- 明日へ向かって
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2012.01.30 Monday2回目の足湯ボランティアから帰宅した。
前回言った仮設住宅のお隣にあるもう一つの仮設住宅の集会所で前回と同じように足湯ボランティアをした。
日曜日だからか、参加者があまり多くなく、全員に足湯をした後は、一緒にお茶を飲みながらのお喋りタイム。
本当に苛酷な経験をした方たちだが、その経験をお互いに話し合うこともできるようになってきているようだった。
そして、うれしかったのは、「仮設住宅に一人ぽっちでいるよりは集会所へ来て、みんなとおしゃべりしている方がずっと楽しい」と感じ、実際に時々家に用足しに戻ってはまた集会所に顔を出す人が何人もいられたこと。
みんなのためにと漬物などの差し入れを持ってくる人もいて、明日へ向かって少しずつ歩き出している様子が感じられた。
お互いを思いやりあい、場を和ませるための冗談も飛び交う雰囲気にちょっとほっとした。
- 泥縄帽子できました
- ちびっ子に泣き止んでもらうためのヒント
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2012.01.26 Thursday感情そのものを変えることは、そう簡単ではない。が、していることや考えていることを変えることで感情が簡単に変わることは多い。
これをちびっ子にも応用してみたところ、見事に成功した。
放射能についての話を聞く会の託児を頼まれ、1才5か月のちびっ子のお相手をしていた。初めてのことおつきあいをする時には、「この人といると安心だ」と感じてもらうことが大切。そのためには、ひどく泣くようなことにならないよう、注意して接する必要がある。
具体的には少しでも泣きそうになったら、「お母さんの所に行こうか」のように声をかけて、実際にお母さんの所へ連れて行ってあげる。この人はすぐにお母さんの所に連れて行ってくれると思ってもらえるようになれば、こちらの話を聞いてもらえる。ちびっ子はしゃべらなくても、こちらの話はかなり理解できるのだから・・・
ねむいこともあり、少し泣き始めたちびっ子に、「お母さんの所へ行こうか」と声をかける。
たくさんの人が静かに話を聞いている会場へ入るには、泣き止んでもらいたいな。どうしたらいいかな。
まずはちびっ子と一緒にいた部屋のドアを開けるに当たり、ちびっ子の協力を要請してみる。
「お母さんの所に行くから、この部屋のドアを開けるのを手伝ってくれる?一緒にやってみようか?よいしょ、よいしょ」
ちびっ子はドアを開けることに神経を集中し始めると同時に泣き止んでしまった。おぉ、こんな小さい子でもすることと考えることが変わると、泣き止むことができるのだね。
理屈を承知でやってみたのだけれど、実際に成功した時には、ちょっとうれしかったな。
- 泥縄帽子
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2012.01.25 Wednesday先日、東北へ行くに当たり、寒いだろうからと、毛糸の帽子をかぶっていった。
私の帽子はいくつもあって、寒い時には二つを重ねたりもしている。
相棒は普段あh毛糸の帽子をかぶらないから、ずっと昔に私が編んだのをかぶっていった。よく見ると、相棒の頭には少し小さい。
私が自分用に編んだものなのかもしれない。
ふちは折り返して耳あてにもなるような大き目の帽子を編もうかな。
「今から編もうかと思うのだけれど、どう?」と相棒に声をかけてみる。「編んでもらえればうれしいけれど、間に合う?」に「なんとか、がんばる」
相棒は明後日の夜行バスで出かけるから、今から編めば、ぎりぎり間に合うかな。
昔たくさん染めた糸があるから、まずはそれを引っ張り出して、適当な糸選びをする。たくさんあるとはいえ、太さも色も量もいろいろ。一種類の糸で帽子一つを編むには足りないが、茶系の糸を合わせると、ちょうどできそう。太めの糸でふちを編む、帽子本体はそれよりも細めの糸にさらに細い白い糸を合わせると、太めの糸とほぼ同じ太さになる。
太めの茶色と細めの茶色は少し色が違うのだけれど、こうして合わせることで、ほぼ同じ感じに見えるようになった。
草木染の糸だからということもあるのだろうけれど、あとは、ひたすら編むのみ。
- チャンスは一瞬
- 断捨離下手もいいことがある
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2012.01.23 Monday今回、東北に行くにあたり、重宝したのが、ずいぶん前に買ったダウンのコート。我が町が今よりもずっと寒かった頃、愛用していた。ここ10年近くは、かなり暖かくなったおかげで、いつの間にか着なくなっていた。
表地は絹だから、摩擦に弱く、袖口などは擦り切れてしまっていた。
10年近く着ていない上に袖口が擦り切れているとなれば、断捨離の得意な方だったら、とっくにお払い箱にしていることだろう。
私でさえ、処分してしまおうかと思いつつ、なんとなく捨てかねていたのだもの。
が、さすが、ダウンのコートだけあり、冬の東北でもばっちりだった。
捨てるどころか、袖口の修理をして、もうしばらく働いてもらうことにする。
絹には絹を当てたいが、ちょうどいい布がないかな。
暮れにがんばってほどいた義父の着物の裏地の小さい部分が色といい、大きさといい、いい感じだ。
コートの色はグレーっぽいが、コートの裏地は濃い青で着物の裏地も濃い青だ。同じ濃い青でも色が違うけれど、気にしない、気にしない。
義父の着物も擦り切れていたが、裂き編みにでもしようかと思い、丁寧にほどいて、洗ってあったのだ。裏地の方は傷みも少なく、こんな風に布として、しっかり役に立ってくれた。
「もったいない、何かに使えるかも」と思うから、なかなか捨てられないのだけれど、今回はこうしてばっちり生き返り、また役に立つのだから、うれしいね。
- 東北への初ボランティア その3
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2012.01.22 Sundayボランティア終了後、バスで石巻駅へ出る。
夕食を食べに入った食堂はテーブルの配置が微妙に窮屈な感じ・・・
ちょっと変な感じだが、まあいいかと、食事をする。
食事を終えて、レジへ行くと、「震災直後の石巻」という写真集がある。手にとって、ぱらぱらと眺める。
あちこちで何度も見たような津波の破壊力のすさまじさを物語る写真がいくつも・・・
と、お店の人が話しかけてきて、「この駅周辺も海の水が来てすごかったのですよ。津波の破壊力はそれほどではなかったですが、車はどれも海水につかってダメになったし・・・
海の水が来たのだから、そこらじゅうにエビだら、魚もいっぱいでした。ヘドロもすごかったし・・・
それをボランティアの方たちが、こうしてすっかりきれいにしてくれたのです。
うちの店も別の所にあったのですが、すっかりダメになったので、取り壊して更地にしました。立て直せないので、ここを借りて始めたのです。ここはケーキ屋さんだったので、座敷もないし、テーブルの配置もおかしいのですが・・・」
現地の人の話を直接聞くと、やはり、とても生々しい。
私たちにできるお手伝いをさがして、少しずつでも続けていきたいな。
- 東北への初ボランティア その2
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2012.01.21 Saturday仮設住宅の集会所に到着。
荷物を置いた後は、お知らせのために1軒ずつを回るのだそう。チラシをを持ってお知らせ開始。
同じ作りの家がびっしりと並んでいるから、回るのはとても効率がいい。
が、お留守の家が多いのには、びっくりだった。途中で、「そこの並びの家は全部留守ですよ」と声をかけられたりもした。
「家の中にこもりっきりの人も多く、生活不活発病になる」とのニュースにも接していたから、どこかへ出かけているというのは、いいことだと思う。
集会所に戻って、足湯の支度をする。
あんなに留守のお宅が多くて、何人の人がいらっしゃってくださるかなぁ。
先に看護師さんたちの話を聞いていた方たちに、「よかったら、足湯をしませんか」と声をかけると、ほとんどの方が「じゃあ」と言って、足湯にいらっしゃった。
湯加減を聞きながら、指のマッサージを始める。皆さん、ぽつぽつといろいろなことを話されるので、それを聞きながらも、マッサージを続ける。
「気持ちいいねぇ」の言葉を聞くと、こちらもうれしい。
当初の心配はどこへやら、総勢4人のメンバーが休む間もないほどだった。
- 東北への初ボランティア その1
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2012.01.20 Friday足湯ボランティアなるものに行ってきた。
夜行バスで石巻駅前に到着。どうやら、特別に暖かだったらしく、路肩に雪が残っているが、思っていたよりもずっと暖かい。
目的地へ向かうため、路線バスの乗り場へと向かう。
社会福祉協議会から頂いた支援物資を入れた段ボール箱をぶら下げていることから、バス会社のお兄さんが声をかけてくれる。「こうして全国からたくさんのボランティアの方たちが来てくださり、本当にありがたいこと」と。
一緒の仲間が「お身内の方たちに被害はありませんでしたか」と声をかけると、「いとこの家13軒が流されました。残った家は5軒だけです」に私たちは言葉を失う。
駅前の地盤は思っていたよりも沈下していないが、あちこちにひび割れがある。
路線バスを降り、仮設住宅を目指し、川沿いに歩き始める。
白鳥がいる。
こうした光景が被災した方たちの心を少しでも和ませてくれるといいな。